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浦和家庭裁判所 昭和37年(家イ)130号 審判

国籍 朝鮮 住所 埼玉県

申立人 柳沢美代(仮名)

相手方 田辺三郎(仮名)

主文

相手方は申立人を認知する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求めその理由として申立人は真実相手方の子として申立人の後見人丸田良子が昭和三十六年十月十六日出生したものである。

即ち申立人の母丸田良子は朝鮮黄海道安岳郡○○面○○里二、七〇〇番地柳沢敬三と昭和十九年十月三十日東京都目黒区○○町一〇三番地に於いて婚姻しその後間もなく渡鮮し夫の本籍地である朝鮮黄海道安岳郡○○面○○里二、七〇〇番地で生活していたが、今次終戦により申立人の母が、日本人であることが原因で夫婦は周囲の者から生活上の妨害を受けたため住所を鎖南浦市南山に移すなど極力夫婦間の円満を図つたが結局はそのことが原因で柳沢敬三は申立人の母(当時長男英明が生れていた。)を残して所在不明となつた。

母は夫柳沢敬三から仕送りも音信もなく長男英明を抱えて僅かの収入で生活していたが、民衆の虐待に耐えられず遂に帰国を決意し朝鮮元山港を出発、昭和二十三年七月六日舞鶴港に上陸して日本に引揚げ、東京都目黒区○○町一〇三番地に於いて生活していたが、その後母の実家である申立人の現住所に移り現在に及んでいる。ところで母は昭和三十五年に東京地方裁判所に対し悪意の遺棄を原因として離婚の訴訟(同庁昭和三五年(タ)第三四一号)を提起し昭和三十六年六月二十八日請求どおりの離婚判決を得て確定した。

申立人の母は右離婚訴訟を提起すると間もなく、知人の世話で相手方を知り昭和三十五年十二月三日相手方と事実上の婚姻をなし右現住所に於いて夫婦生活に入り相手方との間に昭和三十六年十月十六日申立人を出生したものであるが、申立人は母が、前夫柳沢敬三と離婚後一二〇日余にして出生したため前夫の嫡出の推定を受ける結果になつたので相手方の認知を得て右の推定の排除を求めるため本件申立に及んだと云うのである。

本件につき昭和三十七年六月五日の調停委員会の調停において相手方が申立人を認知することにつき当事者間に合意が成立しその原因について争がないので当裁判所は記録添付の戸籍謄本及び出生届受理証明書、登録済証明書、判決正本の各記載ならびに申立人法定代理人後見人実母丸田良子、相手方本人の尋問等必要な事実を調査し調停委員山本角太郎、市川あさの意見を聴いた上本件の事実関係が申立人の主張のとおりであることを認めた。

而して申立人は北朝鮮人であるから、法例第一八条により認知の要件は子である申立人については朝鮮民主主義共和国政府の法律によるべきであり、父については日本民法によるべきところ、申立人の本国法である朝鮮民主主義共和国の法律は現在当裁判所においてこれをつまびらかにすることができないから条理によつてこれを判断すべきものとする。ところで申立人が、相手方の子であることは前記認定の通り明かであるから相手方が、申立人を認知することは条理としても当然であり、相手方の準拠法である日本民法によるも正当である。よつて本件申立は理由があるので認容し、家事審判法第二三条、法例第一八条に則り主文のとおり審判する。

(家事審判官 吉村弘義)

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